大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和61年(ネ)943号 判決 1989年2月01日

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文と同旨。

二  控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二  当事者の主張

一  被控訴人の請求原因

1  売買契約

被控訴人は、昭和三五年七月、控訴人から、当時同人の所有であった原判決添付物件目録二記載の土地部分(以下「本件二の土地」という。)を、温泉の引湯権付で、代金八五万円で買い受け、同年八月八日及び同年九月八日の二回に分けて金四二万五〇〇〇円ずつ合計金八五万円を控訴人に支払ったので、被控訴人は、本件二の土地の所有権を取得した。

2  取得時効

(一) 仮に右の主張が認められないとしても、被控訴人は、控訴人から本件二の土地を買い受けたものと信じ、昭和三七年一二月七日ころ、本件二の土地の一部である原判決添付物件目録三記載の土地(以下「本件三の土地」という。)上に木造瓦葺平屋建浴室(床面積二五・三七平方メートル。以下「本件浴室」という。)を建築し、少なくともそれ以来本件浴室の敷地である本件三の土地を、自己の所有地と信じて、平穏かつ公然に占有してきたものであるから、右の占有開始時から一〇年を経過したことにより、被控訴人は、本件三の土地の所有権を時効取得した。

仮に右のように信じたことにつき被控訴人に過失があったとしても、前記占有開始時から二〇年を経過したことにより、被控訴人は、本件三の土地の所有権を時効取得した。

(二) そこで、被控訴人は、本訴において右各取得時効を援用する。

3  被控訴人の求める裁判

よって、被控訴人は、控訴人に対し、主位的には本件二の土地につき昭和三五年七月売買を原因とする所有権移転登記手続を、予備的には本件三の土地につき昭和三七年一二月七日時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否

1  請求原因1の事実中、原判決添付物件目録一記載の土地(以下「本件一の土地」という。)、したがって、本件二、三の各土地が昭和三五年七月当時控訴人の所有であったこと、控訴人が被控訴人から、昭和三五年八月八日及び同年九月八日の二回に分けて金二万五〇〇〇円ずつ合計金八五万円を受領したことは認めるが、その余の事実は否認し、その法的主張は争う。

控訴人が受領した前記の金八五万円は控訴人の家屋の移転補償費等であって、本件二の土地の売買代金ではない。すなわち、控訴人の夫で、その代理人である遠藤政治(以下「政治」という。)は、昭和三五年なかごろ、被控訴人から、本件浴場及び母屋を建築するために、本件一の土地の一部を使用させてほしいとの懇請を受け、これを承諾した。そこで、控訴人と被控訴人とは、そのころ、本件一の土地上にあった控訴人所有の家屋(以下「旧家屋」という。)を取り壊わして、同土地の西側部分に控訴人の住居を新築し、残りの土地部分に控訴人と被控訴人とが共同で本件浴室を建築するとともに、被控訴人のために本件二の土地の一部(本件浴室の敷地部分を含めて三五坪位。正確には九九・一九平方メートル)を使用させる旨の合意をした。その合意に基づき、被控訴人は、控訴人の旧家屋の移転補償費に、控訴人の新家屋建築費用の負担金と被控訴人の右土地部分使用の権利金とを合わせた趣旨で、合計金八五万円を控訴人に支払ったものである。

2  同2(一)の事実中、本件浴室が昭和三七年一二月ころに建築されたことは認めるが、その余の事実は否認し、その法的主張は争う。

三  控訴人の抗弁

被控訴人は、当初から、控訴人所有の土地を使用する意思で、本件三の土地を使用していたにすぎないものであるから、右土地の占有開始時にこれを所有する意思を有していなかったものである。

四  抗弁に対する被控訴人の認否

抗弁事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一  1 被控訴人は、請求原因1において、昭和三五年七月に控訴人から、本件二の土地を、温泉の引湯権付で、代金八五万円で買い受けた旨主張し、原、当審における本人尋問において、右主張に沿う供述をしている。

2 しかしながら、被控訴人の右供述は、次に述べる理由により、にわかにこれを採用することができない。

(一)  一般に土地の売買契約が締結される場合には、売買契約書又はそれに類する証書の作成されるのが通常であるところ、被控訴人は、原、当審における供述において、本件については、売買契約書等は作成しなかった旨自認している。そして、この点に関し、被控訴人は、当時、被控訴人夫婦と非常に懇意にしていたし、同人らを信用していたためであるとか、本件二の土地の売買は非常に急な話しであったためであるとか述べているが、十分に納得し得る理由とはなり得ない。

(二)  本件のごとき一筆の土地の一部の売買契約においては、契約の締結以前に、現地において、買い受ける土地の範囲を明確にするとともに、その面積を測量し、境界標を設置するなどの準備作業のなされるのが通常であるところ、本件については、被控訴人が本件二の土地を買い受けたという昭和三五年七月以前に、そのような準備作業のなされたことを認めるに足りる的確な証拠は存在しない。この点に関し、被控訴人は、原、当審における本人尋問において、売買契約を締結した後の昭和三五年八月四日、当時東京都内にあった被控訴人の自宅において、控訴人の夫で、その代理人であった政治と、買い受ける土地の境界等について取り決めをした旨供述しているが、誠に不自然というべきであって、到底採用することができない。

(三)  被控訴人は、原、当審において、一方においては、従前から温泉付の土地を購入したいと念願していたところ、その念願にかなう土地として本件二の土地を買い受けた旨供述しながら、他方においては、被控訴人が右土地を買い受けた当時は、いまだ右土地から温泉は出ていなかったし、いつ温泉が掘り始められるかも知らなかった旨供述し、更に、昭和三七年九月ごろに被控訴人が本件浴室の建築に着手した当時でも、まだ温泉は出ていなかったとも供述している。従って、被控訴人が昭和三五年に本件二の土地を買い受けた目的に関する被控訴人の供述部分も、不明確な点が多く、十分に理解し難い。

(四)  一般に土地の売買契約における代金額の決定は、まず売買の対象となる土地の面積を確定するとともに、その単価(一坪又は一平方メートル当りの価格)を決定し、その単価に面積を乗じてなされるのが通例と解されるところ、被控訴人は、原、当審において、本件二の土地の売買代金額である金八五万円は、いまだ土地の範囲も面積も確定されず、単価も決定されない前に、控訴人側からの一方的な申し入れに基づき、被控訴人がこれをそのまま承諾して決定されたものである旨供述している。しかし、このような経緯による代金額の決定は、甚だ不自然かつ不合理なことといわなければならない。

(五)  被控訴人は、本件二の土地の売買契約の成立、特にその代金額決定の重要な証拠として、成立に争いのない甲第三号証の一ないし三(政治から被控訴人に宛てた昭和三五年七月二日付の手紙)を援用している。しかしながら、その文面は、「其の節お話しのありました建築の件ですが、参考迄に其の折に申上げました会社からの案ですと私共の家をとりこわして建坪二十五坪百十万円の予算で西方に建築し寮を残り一杯に建る計画となって居りますが、馬場様の場合は私共が先におすすめ致した関係もありますので、事情が異なりますので、建物も最小限に大工に見積らせました結果が八十五万円で出来る計画を得ましたが、此の点誠に申上げにくい事ですが、権利金を含めて八十五万円馬場様が御ふたん願へますや否や、御一報御願い申上げます、其の結果に依りまして前記会社への回答も致し度く存じます・・・・・・」というものであり、右にいう「権利金を含めて八十五万円」が土地の売買代金を意味するものとはにわかに解し難い。なお、右書面には、その二伸部分に、伊東市内における他の土地の引湯権付の売買価格が記載されているが、これは、その文面にもあるとおり、被控訴人が土地の購入を希望する場合の「御参考迄に申添」えられたものにすぎず、この記載から直ちに右「八十五万円」が土地の売買代金を意味すると解することは困難である。

(六)  被控訴人が控訴人に対し昭和三五年八月八日及び同年九月八日に合計金八五万円を支払ったことは、当事者間に争いがないところ、被控訴人は、これが本件二の土地の売買代金であると主張し、その証拠として、成立に争いのない甲第七号証及び第九号証を提出している。しかしながら、これらの書面には、右支払金額が右土地の売買代金であるとは全く表示されていない。

(七)  被控訴人は、原、当審における本人尋問において、一方では、昭和三五年七月に本件二の土地を買い受けたと供述しながら、他方では、少なくとも昭和五三年四月ごろまでは、控訴人に対し、右土地の分筆登記及び所有権移転登記の請求をしたことがないこと、そして、右土地の固定資産税等の公租公課は、昭和三五年七月以降もすべて控訴人がこれを負担して納付していることを自認している。この点に関し、被控訴人は、右本人尋問において、控訴人側から、被控訴人が右土地上に建築することを予定していた住宅等の建築が完成した後に、その住宅等の登記と一緒に右土地の登記をすればよいと言われていたので、その言葉を信頼して、右土地の所有権移転登記請求を放置していたなどと供述しているが、その内容は不自然であって、措信することができない。

(八)  更に、<証拠>によれば、被控訴人は、昭和五三年三月ごろ、当時本件二の土地上に建築を予定していた被控訴人の妻の所有名義の建物の建築資金を朝日火災海上保険株式会社から借り受けるに当り、控訴人に対し、控訴人を地主(賃貸人)とする借地に関する念書への署名押印を依頼しており、また、同年五月ころには、控訴人の夫の政治に対し、本件二の土地の一部に当る二三坪を、権利金坪当り金二万円、地代坪当り金二〇〇円で借り受けたい旨の申し入れをしていることが認められる。この点に関し、被控訴人は、右本人尋問において、妻所有名義の建物の建築資金に関する住宅金融公庫からの融資の締切期限が迫っていたため、やむを得ず、控訴人らに対し、右のような依頼ないし申し入れをしたなどと供述するが、あまりにも不自然かつ不合理であり、採用することができない。

(九)  なお、<証拠>によれば、被控訴人は、昭和三六年七月ころから同三八年三月までの間に、自ら費用を負担して本件二の土地の北側の山留め石積み工事をしたり、本件二の土地付近の整地、土盛り工事をしたりしていることなどが認められる。しかしながら、右のような行為は、被控訴人が控訴人との貸借契約等に基づき本件二の土地のうちの約三五坪を使用することを認められ、その土地上に本件浴室を建築する場合にもあり得る行為であるから、これをもってにわかに被控訴人が本件二の土地を買い受けて、その所有権を取得したものと推認することは困難である。また、被控訴人が控訴人に対して支払った前記の金八五万円の趣旨は、本件の全証拠によるも、必ずしも明らかではない。しかしながら、<証拠>によれば、被控訴人は、昭和三七年九月ごろから同年末にかけて、本件二の土地の東側部分である本件三の土地上に、本件浴室を建築したが、控訴人は、それに先立ち昭和三五年中に、本件一の土地上にあった自己所有の旧家屋を取り壊すとともに、その西隣りの土地に住家を新築しており、また、本件浴室の建築に当っては、その建築資金は被控訴人が負担したが、右浴室のための水道工事、温泉引湯工事等の代金は被控訴人側が負担しており、更に、本件浴室の完成後も、その鍵は控訴人側において保管し、被控訴人夫婦や控訴人夫婦が共同で右浴室を使用するとともに、その電気代金等は控訴人がこれを負担していたことが認められるから、前記の金八五万円は、土地の売買代金ではなく、土地使用の対価や控訴人所有の旧家屋の移築補償金等の趣旨で授受されたものであるとしても格別矛盾するものではない。

3 そして、その他に請求原因1の主張を肯定するに足りる証拠はないから、右主張は、結局、採用することができない。

二  次に、被控訴人は、請求原因2において、本件二の土地を控訴人から買い受けたものと信じて、昭和三七年一二月七日ごろ、右土地の一部である本件三の土地上に本件浴室を建築し、以来、所有の意思をもって、同土地の占有を継続してきたから、時効により、本件三の土地の所有権を取得した旨主張している。しかしながら、前記一で認定した事実からすれば、昭和三七年一二月七日ごろ当時、被控訴人が本件二の土地ないし三の土地を被控訴人から買い受けて、その所有権を取得していると信じていたものとは到底いえないし、また、本件の全証拠を検討しても、そのことを確認するに足りる証拠は存在しない。そうすると、被控訴人が昭和三七年一二月七日ごろ以降所有の意思をもって本件三の土地の占有を継続していたものということはできないから、被控訴人の右時効取得の主張も、その余の点について判断するまでもなく、採用することができないものというべきである。

三  以上のとおりであって、被控訴人の主位的請求及び予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。よって、右主位的請求を認容した原判決は相当でないから、これを取り消すとともに、被控訴人の右各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 裁判官 笹村將文)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例